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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)1112号 判決

栃木県河内村郡河内村大字逆面六十八番地

控訴人

半田定一郎

右訴訟代理人弁護士

手塚敏夫

稲田隆

宇都宮市旭町二丁目二千四百二十一番地

被控訴人

宇都宮税務署長

神保貞治

右指定代理人法務省訟務局付検事

加藤宏

法務事務官 安部末男

大蔵事務官 宮川俊

同 田口要二

右当事者間の昭和三十六年(ネ)第一一一二号更正決定取消請求控訴事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。控訴人及び半田ミエ、半田キミ子等の財産税課税価格の申告に対する被控訴人の昭和二十三年六月三十日付課税価格を金百三万一千八百八十一円とする更正決定処分が無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、右請求が認容されないときは第二次的に、「右更正決定処分中、金三十三万七千三百八十九円四銭を超える部分を取消す。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、認否、援用は、以下に附加するほか、すべて原判決の事実欄に記載してあるところと同一であるから、ここにこれを引用する。

一、控訴代理人の陳述

(一)  本件更正決定の通知書は未だ控訴人らに到達していないから、本件更正決定処分は無効である。

財産税法第四十九条第一項によれば、更正決定をなしたときは、これを納税義務者に通知しなければならないことになつており、右通知が納税義務者に到達しないときは、その更正決定処分は無効であると解すべきである。本件においては、被控訴人は、昭和二十三年六月三十日控訴人らに対する財産税課税価格の更正決定をなし、翌七月一日右更正決定の通知書を控訴人らにあてて郵送し、遅くとも同月三日控訴人らに到達した旨を主張しているが、右通知書が発送されたということについては直接の証拠がないばかりでなく、その到達に至つては、到底これを認めることができないのである。元来更正決定通知書の到達は、不服申立あるいは出訴期間の算定基準となるものであるから、右通知書の送達手続は極めて丁重に取扱うべきものである。然るに本件においては、右通知書は普通郵便で差出されたようであるから、このような取扱をした以上、仮りその発送の事実が認められるとしても、到達の事実までも容易に認めることは、納税義務者たる控訴人にとつて極めて酷であるといわなければならない。

しかのみならず、本件の場合においては、昭和二十三年当時控訴人宅は辺鄙な場所にあり、その上控訴人宅への道路は悪路であつたため、新聞は勿論郵便物等も大半途中の唐箕店鈴木忠方へ預けて行かれた事実があり、又控訴人は税務署からの書類を他の郵便物と区別して別の箱に入れるような方法を講じていたのである。更に控訴人は昭和二十三年八月十六日所得税のことで宇都宮税務署に赴き、そこで初めて本件更正決定処分がなされていることを知り、同日直ちにその再審査願書(甲第四号証)を提出しているのである。即ち、

(1)  控訴人は昭和二十三年八月七日付で宇都宮税務署から、所得税の納付につき同月十日に出頭されたい旨の葉書(甲第二十五号証)を受取つたので、同月十六日同税務署へ赴いたところ、所得税の係員から控訴人の財産税に関して本件更正決定処分がなされていることを初めて聞いたので、直ちに財産税係に行き、関係帳簿を閲覧して詳細な内訳を調べた上、係員から貰つた同税務署の用紙にそのメモ(甲第二十六号証)をとつたのである。

(2)  そして控訴人は同日宇都宮市内の訴外氷室新一郎方で右メモを検討した結果、本件更正決定処分に対する再審査願書を提出することにし、右訴外人にその願書の作成方を依頼したのである。よつて同人は控訴人が前記のように税務署で貰つた用紙を使用して直ちに原稿(甲第二十七号証)を作り、これに基いて再審査願書(甲第四号証)を作成してくれたので、控訴人は同日右再審査願書を宇都宮税務署に提出したのである。

(3)  控訴人に性急な性格で特に本件財産税額は申告額の二倍半に及ぶものであつて、控訴人の死活に関する問題に等しいこと、控訴人は以前においても所得税の更正決定について異議の申立をした経験があつて、財産税の更正決定に対しては、三十日以内に審査の請求をしなければならないことを熟知していたことなどから勘案して、控訴人が前記のように本件更正決定に関する書類を閲覧し、且つ、前記再審査願書を提出した昭和二十三年八月十六日に初めて本件更正決定処分が既になされていることを知つたとするのが自然である。

(4)  因みに本件更正決定処分は、控訴人が昭和二十二年二月十五日財産税の申告をしてから一年五カ月位を経過した後になされているのであつて、控訴人としては、当時財産税については全然問題が起きていないと考えていたのであり、又控訴人が昭和二十三年八月十六日以前に宇都宮税務署へ赴いたのは、同年三月頃所得税の申告をしたときだけであつて、その間においては控訴人は全然宇都宮税務署へ赴いていないのである。これらの事実は本件更正決定の通知書が控訴人方へ到達していないことを裏書きするものである。

(二)  本件更正決定の通知書の到達について直接の証拠がないという不利益はその差出人たる被控訴人において甘受すべきものである。その名宛人たる控訴人に対しその不到達という消極的事実について挙証責任を負担させることはできないものといわなければならない。

なお、被控訴人は本件更正決定通知書の封筒には名宛人として「半田定一郎外二名」と記載されていた旨を述べているが、更正決定の通知書の形式(乙第十五号証参照)からすれば、その封筒にはただ単に「半田定一郎」とだけ記載されていたことは明白であり、仮に被控訴人主張のように「半田定一郎外二名」と記載されていたとしても、そのような形式では納税義務者たる訴外半田ミエに対する更正決定通知書の送達とはならないものと解すべきである。

二、被控訴代理人の陳述

本件更正決定通知書の形式は乙第十五号証と同様のものであつて、その記載事項は次のとおりであり、理由の付記はない。

義納税務者氏名半田定一郎、課税価格 七六五、二〇〇円

〃 〃 ミエ 〃 二六六、六〇〇円

追徴税額(更正決定により増加する税額) 三七九、〇〇〇円

加算税額 五一、一二一円五〇銭

追徴税額 一八九、五〇〇円

計 六一九、六二一円五〇銭

右通知書は納税告知書と同封の上、封筒には名宛人として「半田定一郎外二名」と記載し普通郵便で送付したものである。

三、新たな証拠

控訴代理人は甲第二十五ないし第二十八号証を提出し、当審証人田中敬助、同手塚保次、同氷室新一郎の各証言、原審(第二回)並びに当審における控訴本人の尋問の結果を援用し、乙第十五号証の成立を認めると述べ、

被控訴代理人は乙第十五号証を提出し、甲第二十五号証の成立を認め、同第二十六ないし第二十八号証の成立はいずれも不知、但し、同第二十六号証の用紙が税務署で使用しているものであることはこれを認めると述べた。

なお原判決十枚目裏八行目に証人「宇賀地太美雄」とあるのは「宇加地太美雄」の誤記と認める。

理由

按ずるに控訴人主張の事実中、控訴人が昭和二十二年二月十五日頃、財産税法第三十七条第一項の規定に基いて、その家族である妻半田ミエ及び長女半田キミ子と連署の上、調査時期たる昭和二十一年三月三日午前零時における控訴人らの財産として、原判決末尾添付の財産税課税価格一覧表中の「原告の申告課税価格欄」に記載してあるような内容によつて、その課税価格の合計金額を金四十四万七千二百三十七円と記載した申告書を被控訴人に提出したことは当事者間に争いがない。

而してその方式及び趣旨により公務員がその職務上作成したものと認められるから、真正に成立した公文書と推定すべき乙第一号証の一の記載、原審証人渡辺寅吉、同中里栄、同福武保沿、同三沢寛の各証言に弁論の全趣旨を綜合して考察すれば、控訴人らの前記申告に対し、被控訴人は所定の手続を経た上、昭和二十三年六月三十日控訴人らの財産税の課税価格を概ね前記一覧表中の「被告主張の課税価格欄」記載のような内容で、(但し、控訴人所有の家庭用動産の認定価格が、被控訴人が本訴において主張するように金一万円であつたか、それとも控訴人が主張するように金二万五百二十七円であつたかは必ずしも明確ではない。)その合計金額を金百三万一千八百円と更正決定をなしたことが認められ、他に特段の反証はない。

そこで右更正決定処分が納税義務者たる控訴人らに通知されたか否か、即ち、本件更正決定の通知書が控訴人らにあてて発送され、それが控訴人らに到達したか否かの点について以下にその判断をする。

(一)  原審証人渡辺寅吉、同三沢寛の各証言とこれらによりその成立が認められる乙第一号証の二の記載とを綜合して考察すれば、本件更正決定は所轄宇都宮税務署における最後の第四次決定として他の同種納税義務者約五十名に対する分と一緒に決定されたものであり、これら更正決定の通知書は同税務署直税課財産税係(その責任者は当時企画主任渡辺寅吉であつた。)において作成され、これらの通知書は一括して全部同時に同係から徴収係に廻付され、同係において控訴人らを含む前記納税義務者らに対する所定事項を歳入徴収官徴収簿(乙第一号証の二)に記入した上、各納税告知書を作成して、これと前記更正決定通知書とを同封し、翌七月一日これらの封書を一括して総務課に廻付したこと、総務課においては、これらの書類が一括して前記徴収係から廻付されたときは、これをそのまま即日納税義務者らへ普通郵便で発送するのを例としたので、本件の場合も通例どおり、徴収係から廻付された前記納税義務者あての封書をいずれも即日(七月一日)普通郵便により発送したこと、その後これらの納税義務者らの大部分がその更正決定に基く財産税を完納し、又訴外大塚熊次外二名の者もその一部を納入していること並びに当時宇都宮税務署においては、名宛人の住所の誤記又は名宛入の転居等のほかには前記のような手続による発送書類が名宛人に到達せずに郵便局から返戻されて来たことはなく、又返戻もされず名宛人にも到達しなかつた例はなかつたこと、以上の事実が認められ、他に特段の反証はない。

右認定の事実に徴すれば、他に特段の事情の認められない本件においては、少くとも控訴人ら以外の前記納税義務者約五十名に対する更正決定通知書はすべてその名宛人に到達したものと認めるのが相当であり、これら納税義務者に対するものと一括して発送手続がとられたのに、控訴人らに対する本件更正決定通知書等入の封書のみが脱落して発送されなかつたものとは通常考えられないから、控訴人らに対する右通知書等も同日(昭和二十三年七月一日)前記納税義務者ら約五十名に対する分とともに普通郵便により発送されたものと認めるのが相当である。

(二)  成立に争いのない乙第十四号証の一、二の各記載に原審証人宇加地太美雄、同猪瀬勘一、同鈴木忠の各証言を綜合すれば昭和二十三年当時控訴人らの住所地である栃木県河内郡田原村(現在河内村)大字逆面を管轄する白沢郵便局(現在河内郵便局)の区域内では郵便物の遅配はなく、宇都宮市内で投函された郵便物は遅くとも三日目の午後までには控訴人らの居住する逆面部落の名宛人に配達されていたこと、昭和二十二年の初期頃までは郵便集配人の採用が困難であつたが、(従つて集配人が手不足であつたといえる。)昭和二十三年頃には優秀な集配人が復員して来たので、訓練不足の者が集配の事務にあたるようなことはなかつたこと、当時逆面部落の郵便集配にあたつていた猪瀬勘一はその後現在に至るまで引続いてその集配に従事していること、控訴人は性質がこまかいので、郵便集配人は常に細心の注意を払つて郵便物の集配に従事し、前記集配人猪瀬勘一も控訴人宛の郵便物は直接控訴人方へ配達して来たのであつて、控訴人方から約一粁位手前で県道沿いの唐箕屋鈴木忠方(旧田原村大字上田原)へ控訴人宛の郵便物を預けるようなことはしなかつたこと、尤も昭和二十三年の冬期頃霜解けなどで控訴人方への通路が悪くなつたため、右鈴木忠方では控訴人宛の急ぎでない郵便物(はがきなど)を一、二回集配人(恐らくは猪瀬集配人が休んだときにその集配にあたつた他の集配人であろうと考えられる。)から預つたことがあるが、税務署からの郵便物を預つたことはなかつたこと並びに前記逆面部落には控訴人と同じ半田姓の者はひとりもなく、従つて誤配の疑はないこと、以上の事実が認められる。原審証人半田ミエ、同半田キミ子、当審証人手塚保次の各証言、原審(第一回)並びに当審における控訴本人の供述中、右認定に反する部分は前掲各証拠と対照して措信し難く、他に特段の反証はない。

以上(一)、(二)に説示したところから判断すれば、他に特段の事情の認められない本件においては、宇都宮市内から普通郵便で発送された本件更正決定通知書等は遅くとも昭和二十三年七月五日までには控訴人方に配達され、控訴人らの了知し得べき状態に置かれたものと認めるのが相当である。

尤も原審(第一回)並びに当審における控訴本人の供述とこれによりその成立が認められる甲第四号証、同第二十六、二十七号証によれば、控訴人は昭和二十三年八月十六日宇都宮税務署直税課財産税係において本件更正決定に関する書類を閲覧してその内容をメモにとり、これに基いて同日付再審査願書を作成し同日これを同税務署に提出したこと、控訴人はそれ以前にも所得税に関し審査の請求をしたことがあり、本件更正決定に対して異議のある場合には、その通知を受けた日から一ケ月以内に審査の請求をしなければならないことを知つていることが認められ、又控訴人方では税務署からの書類は他の郵便物と区別して取扱うため別の箱に入れるようにしていたことが窺われるが、これらの事実があり、又仮に当時財産税の申告をしてから一年以上も経過しているため、控訴人としては、財産税については全然問題がないものと考えており、或いは控訴人が昭和二十三年三月頃から同年八月十六日までの間においては、宇都宮税務署へ行つたことがないとしても、これをもつて直ちに本件更正決定通知書が控訴人方へ到達せず、従つて控訴人は同年八月十六日宇都宮税務署において係員から聞いて初めて本件更正決定処分のなされていることを知つたものと認定しなければならない根拠となすことはできない。

なお、被控訴人は、本件更正決定通知書を入れた封筒には名宛人として「半田定一郎外二名」と記載されていた旨主張するが成立に争のない乙第十五号証の記載によれば、被控訴入が主張する本件更正決定通知書の記載形式と同様に、更正決定通知書には納税義務者たる世帯主並びに同居家族に対する更正された各課税価格が併記されているに拘らず、その名宛人としては、単にその世帯主一名の氏名が記載されているに過ぎないところから見ると、右通知書を入れた封筒にもその名宛人として右世帯主一名の氏名が記載されているに過ぎないものと推認せざるを得ないのであつて、他に特段の証拠のない本件においては、本件更正決定通知書にも、又これを入れた封筒にも、その名宛人としては控訴人の氏名のみが記載され、被控訴人主張のように「半田定一郎外二名」とは記載されていなかつたものと認めざるを得ないのであるが、本件更正決定通知書を入れた郵便物が前記のとおり遅くとも昭和二十三年七月五日までに控訴人方に配達されたものと認むべき以上、これにより右通知書は控訴人の同居家族たる妻半田ミエにおいてもその内容を了知し得べき状態に置かれたものというを妨げない。従つて前記封筒における名宛人の記載を捉えて右半田ミエに対しては本件更正決定の通知がなかつたものとするのは失当である。

以上説示のとおりであつて、本件更正決定は適法に控訴人らに通知されたものというべきであるから、本件更正決定処分は無効ではないというべきである。従つてその無効確認を求める控訴人の第一次請求は理由がないからこれを棄却すべく、又その取消を求める控訴人の第二次請求についても、控訴人が昭和二十三年八月十六日に提出したその再審査願は一ケ月の期間を経過した後になされたものというべきであるから、右請求は訴願前置の要件を欠き、不適法とし、却下を免れない。

然らばこれと同旨の原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷本仙一郎 裁判官 堀田繁勝 裁判官 野本泰)

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